八幡浜に、ものすごく立派な防空壕が残っています。

 

入り口の文字は、わざわざタイルに焼き付けられたもの。参考文献によると八幡浜市が建設したもので、1941年(昭和16年)2月に竣工しています。太平洋戦争が勃発する前にできていたことになりますが、なぜそんなに早く作ったのかは謎だそうです。

Wikipediaによれば、防空壕は空襲の恐れが高まった1944年ごろから数多くつくられたそうですから、この防空壕の建設時期がかなり早いことが分かります。

八幡浜第一防空壕

1941

愛媛県八幡浜市

防空壕は、愛宕山と呼ばれている山の麓にあります。防空壕の真上に住宅が並んでいることになります(^^;)

いま駐車場になっている場所には、戦後すぐにつくられた貝ボタン工場があったそうで、2001年(平成13年)に工場が閉鎖された跡を更地にしたら、防空壕が発見されたのだそうです。それまでは「すっかり忘れ去られていた」ということなのですが、2001年といえば終戦後56年しか経っていません。この防空壕を利用したことのある人も存命しているはずなのですが、思い出したくなかったんでしょうか(^^;)

入口は、普段は施錠してあります。地元の方々で管理されており、お願いすれば中に入れて頂くことができます。出入り口は2箇所あって、平面がU字型になった防空壕です。

入ってみると、中はけっこう広いです。奥が高くなっています。照明灯は地元の方々が見学用に平成17年に設置したもの。昔の写真が愛媛大学のサイトにあります。同じ写真が掲載された八幡浜新聞によると、昭和16年2月の撮影だそうです。

奥にある凹みは、御真影を飾る場所ではないか?とのこと。

U字型平面の横繋ぎの部分です。

構造:RC造平屋建

施工:協和会八幡浜支部

竣工:1941年(昭和16年)

この写真は、入り口側を振り返ったところ。爆風を避けるために入り口はクランク状に曲がっているのだそうです。防空壕の構造はコンクリート、表面は漆喰で仕上げられています。かなり立派ですね。

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三瓶隧道

1917



 

国鉄第二夫婦岩橋

1945

 

千賀居隧道

1905

 

明治橋

1930

 

美名瀬橋と旧東洋紡績赤レンガ倉庫

1933

 

旧川之石浦庄屋二宮家住宅石塀

江戸期

 

赤ヒゲ橋

明治期

 

八幡浜第一防空壕

1941

 

宮内川青石護岸

昭和初期