愛媛県の八幡浜市から国道197号線を通って大洲市へ行くには夜昼峠を抜けるのですが、このルートは現在の夜昼トンネル(延長約2km)が昭和46年にできるまでは、かなりの難所だったようです。上の写真のトンネルは、夜昼峠の旧道にある「千賀居隧道(ちがいずいどう)」です。明治時代の中頃に竣工したようです。夜昼隧道と呼ばれることもあります。
実はこの道路はループになっており、トンネルを抜けると道は左に曲がりつづけ、反時計回りに一周してからトンネルの上を左から右へ上っていくのです。
愛媛県の八幡浜市から国道197号線を通って大洲市へ行くには夜昼峠を抜けるのですが、このルートは現在の夜昼トンネル(延長約2km)が昭和46年にできるまでは、かなりの難所だったようです。上の写真のトンネルは、夜昼峠の旧道にある「千賀居隧道(ちがいずいどう)」です。明治時代の中頃に竣工したようです。夜昼隧道と呼ばれることもあります。
実はこの道路はループになっており、トンネルを抜けると道は左に曲がりつづけ、反時計回りに一周してからトンネルの上を左から右へ上っていくのです。
トンネルは煉瓦でできており、一部に自然石が使われています。トンネルの上の土被りは少ないので、一度開削してから工事したのかも?と思うのですが、それならトンネルではなく橋にするはずじゃないか?という気もします(^^;)
扁額やピラスター、キーストーン、笠石などの装飾的な要素はほとんど無い、あっさりしたデザインのトンネルです。
トンネルの延長は17m、幅員は4.6mもあって、当時のトンネルとしてはかなり広いですね。
千賀居隧道
1905
愛媛県八幡浜市
トンネル上部の竹の根がトンネルの面壁を押し広げて、ひびが入っています。かなりやばそうに見えました(^^;)
煉瓦の表面が剥がれたように痛んでいます。凍害によるものではないかと思います。
こちらは反対側のポータル。
こちらの面壁もひび割れて、あろうことかそこから植物が生えていました(^^;)
壁が落ちそうで怖い
構造:煉瓦造
延長:17m
幅員:4.6m
高さ:5m
竣工:1905年(明治38年)
煉瓦は、垂直の壁の部分はイギリス積み、アーチの曲面の部分は平積みです。よくある積み方ですね。
千賀居隧道
1905