学生諸君へ

高木方隆 Tophttp://www.infra.kochi-tech.ac.jp/takagi/Main/Welcome.html
 

学生諸君の参考になればと,適当なことを短文で綴ってみました.

私は現在,大学教授という職を務めていますが,秀でた能力は何一つ持っていません.

学力にしても,小・中・高・大において,並の力かそれ以下でした.

体力にしても同様です.病気がちでしたし,特に球技は苦手です.

ただ,ガリレオの話しにワクワクし,天文現象を見て感動する天文少年でした.

大学選びは深く考えず,適当に自分の成績と照らし合わせて決めてしまいました.

でも研究室で与えられた地すべりの研究は非常に興味深くて,それに打ち込みました.

大学院でリモセンを教えてくれた西尾先生に惚れ込み,その道に進む決心をしました.

大学院卒業後,西尾先生から東大の村井先生を紹介してもらい,研究を継続しました.

村井研究室では,周りの凄い研究者に囲まれたおかげで今日の私があります.

なので今の職は,多くの良い縁に恵まれて得られたとしか言いようがありません.

みなさんも,色々な縁を大事にしてください.師匠を持って下さい.

自分自身鍛えられると思いますし,きっと面白いことがあります.

我が家の家訓

1.元気が一番.

2.思いやりを大切に.

3.最後まで頑張る.

何事も頑張ることは重要だけど,頑張ったことによって体を壊さないように.

だから,元気が一番.

また,何かを頑張ることによって,人が傷つく場合だってある.

だから,思いやりが二番.

その二つを意識しながら,最後まで頑張ろう.

この3つの順位を考慮すれば,迷ったときの判断が簡単に行くはず.

最後っていうのは,遠い目標とか大志とかをイメージしよう.

まぁ,「生涯修行」って感じです.


私のモットー

その時,その年齢や立場,その組織,その地域,その環境でしか出来ないことは,

悔いの残らないようやり遂げ,それをできるだけ多くの人々と伴に楽しむ.

今は,教育(家庭でも大学でも)・研究(仕事)・交遊・趣味・勉強

そして適当にやっても成果が得られるようになるための修行を怠らない.


人って,スゴく強い

現代のモノは壊れたら直すことが困難です.

現代の多くのモノは,壊れたら,壊れた部分を新品と交換しています.

電子部品に至っては,濡れただけで壊れてしまいます.

人間は,濡れても壊れません.風邪を引く人もいますが...

ちょっとした怪我なら自然に治癒します.

適切な食事と運動で,風邪を引かない頑健な体を作ることができます.

人っていうか,生物ってすごいですね.

体を鍛え上げましょう.少しずつ.そして継続することが重要です.

体は人それぞれなので,その人にあったトレーニングがあるはず.

いろいろ試すと,体の声が聴こえてくるんじゃないかな?

地道に体を鍛え続けると,その効果は必ず目に見えてきます.


人って,自然が大嫌い?

多くの人は,靴を履かないと外を歩けません.

寒さや日射,害虫に耐えられないので,服を着ています.

そして,雨風や地震に堪えられる丈夫な家を求めます.

その家の中は,危害を与えない動物や,虫ですら入らないように工夫します.

こう考えると,人って,動物の中ではスゴく弱いですね.

都市は,人間の暮らし易さを追究し,自然を排除してきた感じです.

自然と触れ合うキャンプ場ですら,快適なキャンプ用品の展示会みたいで不自然.

私は,絶景の空間で,テントも張らないゲリラ的キャンプがお気に入り.

とは言っても未だ修行不足で,寝袋の中でぬくぬくとしてしまいます.


自然は本当に美しい

自然の中で育っている動植物は本当にたくましく,美しいと感じます.

同じ花でも自生しているものと花壇で育てられているものは違います.

自然の中では,本当に強いものでなければ育たないのでしょう.

高知工科大学の周辺にはたくさんの動植物が生息しています.

高知県の山は,標高も高いので様々な風景が楽しめます.

せっかく高知にいるので,自然に興味を抱いてみてはどうでしょうか?

三嶺は,私にとって最もお気に入りの山です.


実物は本当に凄い

写真や映像で見るものと,実際に実物を見るのでは全く違います.

写真や映像の場合,撮り手が空間と時間を切り取っているからです.

また,その場の臨場感や空気は,写真や映像では味わえません.

自然だけでなく,芸術,音楽,スポーツにも言えることです.

実物を肌で感じましょう.学生時代には,それを楽しむ余裕があるはずです.

興味があれば,実物を体験するための努力は,惜しまないで下さい.


真実は目には見えない

測量学の授業では,いつも話していることです.

真値なんて,解るはずがないと.

測って得た値は,事実にしか過ぎません.必ず誤差が含まれています.

最新の計測器械は,真値ですと言わんばかりの主張をしますが,誤差はあります.

だから,どの辺りに真値があるのかを推測することが重要なわけです.

たくさんの事実をしっかりと見つめることは,極めて重要です.

物理の世界は,事実を紡いで宇宙の歴史を知るまで発展しています.

人の気持ちなんて,もっと解らないものです.他人だけでなく自分の気持ちですら.

なので,決めつけることは止めましょう.


人は,知らないと不安になる

勉強が嫌いな人は多いですが,人は色んなことを知りたがるものですよね.

例えば,目隠しで知らないところに連れて行かれて平気ですか?

必死になって,居場所に関する手がかりを探すことでしょう.

なので知識はたくさん持っていた方が良いに決まってます.

ただ,知っただけで満足してしまうのは危険.

なぜだろう,どうしてだろうという深いところも追究しなくては.

この精神で,科学が発展し続けているんだと思います.


感動してますか?

色々なことがあっても当たり前と思うのはもったいないことです.

たくさんの知識を身につければ,感動は深く,そして広がります.

何かにちょっと興味を持ったら,調べてみると感動が沸き起こります.

例えば奇麗な夕焼けに感動したとして,夕焼けの色がなぜ変化するのかを知るのです.

それが理解できると,次に見た夕焼けは,また違った感動になるはずです.

色々な事象に感動できると,精神的にも豊かになると思いますよ.

今の教育は,知識の詰め込みで,感動に繋がる部分が伝えきれてないんですね.

私の授業ではそうならないように努力しているつもりですが....


人は,分類したがる

なぜだろうと思ったとき,今までの知識や経験に当てはめて考えます.

そのとき,分類という作業を経ることが多いようです.

動植物は,分類対象の格好の場です.○○科○○属という感じで.

人間ですら,性別,年齢,血液型,国籍等,分類のキーは様々です.

多くの人にとって,そんな分類は,どうでも良いことでのはず.

行き過ぎた例は,似たよう岩礁が二つあれば,夫婦岩だとか名付けて分類してしまう.

たまたまなはずなのに,それをありがたく祀られているのはどうでしょう?

そして分類は,差別へと発展することもあって,注意が必要.

○○型の人はどうのこうのというのも根拠はないはず.部落問題も同じですね.

冥王星は昔,惑星に分類されていましたが,今は準惑星です.

太陽系の探査が進んで,冥王星みたいな惑星が数多く発見されたからです.

分類って人間が一方的に行っているので,かなり乱暴な行為と思っておきましょう.


自分って何者?

いろんな自分がいますよね.

親の前での自分,友達の前での自分,先生の前での自分,

それぞれ違ってませんか? でも,それは違って当たり前.

人間って群れる習性があるから,社会性が必要になるんでしょうね.

一体,本当の自分はどれなんだろう?って若い頃は良く悩んでました.

特に,人によって態度を変える自分が嫌になったり...

とにかく,目標を持って修行を続けると自分が見えてくるはず.

30にして立ち,40にして惑わず,50にして天命を知る...

孔子の言葉です.自分を確立するには時間がかかりますね.

まぁ,大きな目標を持って修行に励みましょう.


コミュニケーション

先にも話したように,様々な場において,自分の態度は異なります.

それは,自分の立場によると考えると,楽になります.

まずは,自分より目上の人と話すのか?同じような立場の人となのかは重要です.

そして相手は,どんな信念や正義を持っているのか.

したがって,コミュニケーションには,相手のことを十分知る必要があります.

目上にはペコペコ,目下には偉そうになっている.

そんな自分が見えたとき,格好悪いなあって反省します.

ただ,どんな相手であろうと,常に相手を大切に思いやることが重要です.

自分より年齢が下だったとしても話しの内容次第で変化することもあります.

特に実力社会の現代では,自分より年下でも役職が上という場合も多くあります.

それぞれの立場を認識し,相手を尊重したうえで自分の意見を述べることが重要です.

意見を述べるためには,豊富な知識と経験が必要です.常に勉強しましょう.

議論は,お互いが勉強できる良い機会です.議論に勝ち負けはありません.

ここでも真実は見えないのです.

その時点で多くの人が正しいと思う意見も社会が変化すると変わることがあります.

自分の信念を持つことは,極めて重要です.でも押し付けすぎないように.


哲学・思想・宗教

私の両親は仏教徒です.でも熱心な信者とは言えません.

私は,なんとなくその仏教を引き継いで,楽しんでいます.

多くの日本人は,宗教に興味が無いようです.むしろ嫌っているように見えます.

それで困っていないのですから,現代の日本は安穏としていますね.

でもどんな世でも,真実は目に見えないものですから,たまに不安になりませんか?

しんどいときや,不安な時に,すがるものが無いと,辛いですよね.

そんなときに宗教は,すっと寄り添ってくることがあります.

でもそういうのは,変な新興宗教の場合があるので要注意!

理想的には,それぞれ哲学や思想を持った上で,宗教を楽しむのが良いと思います.


般若心経

般若心経は,お釈迦様の教えと乖離している部分もあるので,少し違和感があります.

でも内容は,自分に言い聞かせるためのものになっているので,悪くはありません.

「色即是空」という言葉に私は感動しました.なので,唱えることを楽しんでます.

キリスト教の人と話していると,「空」と「Freedom」は似ている感じでした.

議論を突き詰めて行くと,それぞれの宗教で目指していることは同じかもしれません.

ところで,「自分にされて嫌な思いをすることは,決して他人にしてはならない」

というお釈迦様の教えの一つは,どの宗教に関わらず肝に銘じておきたいものです.

この教えをきちんと守れば,イジメや犯罪なんて起るはずないのに...


民間信仰

田舎では氏神様がその地域を護ってくれています.

地域ごとに自然の特徴は異なり,自然の恩恵や自然災害の危険性も異なります.

そんなことから氏神様をはじめとする民間信仰が始まったのだと思います.

仏教が普及し,都市で暮らす人が増えた事で民間信仰が薄まってきたのでしょう.

高知は,民間信仰が残っている地域が多く,年に数回,神祭を行なっています.

人は少なくなっていますが,みんな仲良く暮らしていて,見習うべき共同体です.


人まねは嫌いですか?

オリジナリティやオンリーワンが重視されています.

でも人は,お手本を見習いながら成長しています.

私には師匠がたくさんいます.追いつくことさえ難しい凄い師匠達です.

残念なことに,何人かの師匠は亡くなり,その指導を直接受けられなくなりました.

私は,50を過ぎた今でも師匠をまねることを意識しています.

ただ,その人の全部をまねすることはできません.当然ですよね.

色んな人の見習うべき良い部分をたくさん吸収することが私にとっての修行です.


無駄な努力というのは無い

ある目標に向かって修行を積んでも達成できなかったら無駄な努力?

目標達成はできなかったとしても修行によって力がついたはず.

そこで無駄と思って諦めてしまうと,それこそ無駄になるかも.

諦めて別の活動を始めるのは問題ないですね.それまでの修行が生きると思います.

無駄と思って活動をしない,何もしないと言うのはダメです.成長できません.

活動(プロセス)こそが重要であって,結果は二の次です.

結果は他人からの評価に過ぎません.常に自分の目標に向かって修行を続けましょう.

少しずつでもいいので,とにかく継続していくことが重要です.


相当辛くなったら

我慢も修行のうちです.苦難を乗り越えるまで頑張りましょう.

辛いことが人のためだったら,なおさら頑張り抜かないと.

頑張り抜けば,いろんなことを余裕でこなす力がついて,自分も成長しています.

でも元気が一番です.耐えられそうになければどうする?

相談相手や良き理解者がいれば,乗り越えやすくなるはず.

もし,ほんとにダメになりそうなら,環境を変えるのも一つの手かな.

場所を変えても志を貫けるなら,新転地で出直しするのも良いでしょうね.

そんなときは,逃げるが勝ち.


男には三人のママが必要?

母親,女房,スナックのママが,男には必要.

カミサンが尊敬する神父さんが言っていた言葉だそうです.これ納得.

ちょっと飛躍しすぎだけれども,それぞれのママの前での自分は全く違う人物.

会話の内容も全く違います.これが重要なんですね.

いろんな愚痴を聞いてもらえる家族や仲間を持つことが重要ってことでしょうか.


組織って何?

組織の歯車になんてなりたくない!って思っている人もいるでしょう.

一番小さな組織は,家族でしょうか?それは組織ではありません.
サークルは組織だし,学校や会社も組織でしょうね.

組織は,ある方向を目指す人々の集団と言えるかもしれません.

人は,群れなければ生きて行けません.特に現代の都市に住む人間は.

衣食住すべてを一人で賄うには,現代社会では不可能になってしまいました.

なので,一人一人が役割分担しているのです.

組織を構成すれば,大きな仕事ができます.


家族と国家って?

家族は,血縁関係にありますが,組織とは言えません.あくまでも家族です.

その家族の一員になったのは,宿命です.自分ではどうすることも出来ません.

子供の頃,裕福な家に生まれたかったと思ったものですが,しょうがないですね.

でも組織なら,自分も憧れる組織の一員になれるチャンスはあります.

国家はどうでしょう?家族と似てませんか?私が日本人なのは宿命です.

だから家の文字がついているのかもしれませんね.

そして一般的に国民は,色々な方向を向いているので,まとめるのは大変です.

家族の中でもまとまりが良くない場合もありますが,そこは愛で乗り切れます.

国家も家族的な愛情を持って難局を乗り切りたいものです.


組織同士の対立

組織同士の対立は,全く理解できません.

組織ごとの最終的な方向性や目標は,良い社会を構築することにあるべきです.

なので,組織どうして対立する必要性は全くありません.

でも現実には,企業間の対立,政党間の対立,宗教間の対立などがあるようです.

それぞれ,高邁な目標や理念を持っているはずなのに不思議ですね.

スポーツは組織間で競い合うという形式です.

本来スポーツは,心身を鍛え,観衆に感動を与えることが目標です.

組織同士の対立ではなく,組織間での成果発表の場と捉えるべきでしょう.


自己責任ってどこまで?

組織的な犯罪は別として,組織での行動中,誰か失敗したら責任を取るのは上司.

未成年者の犯罪は親の責任ですよね.それと同じ.

そう考えると,組織なら責任を個人に全部押し付けることなんてできません.

つまり組織は,個人を守ってくれるともいえます.

私も管理職っぽい仕事につくと,謝りに行かねばならないことが多々あります.

なんで私が謝りに? なんて憂鬱に思ったときもあります.

でも本人が十分反省しているのであれば,組織として個人を守るのは当たり前.

特に誠実な部下が,組織のためにしたことで,失敗したとしたら,守り抜く.

それによって将来,より強固な組織になることも期待できます.

ただ,本人が全く反省していなければ,その組織から追放する以外にないかも...


自殺なんてありえない

心の病を患う人が多くなっているようです.

自殺に関する報道も後を絶ちません.

自殺を考える状態は,心と体が別物になってしまっている危険な状態です.

心は死にたいと思っても,体は生き続けたいと思っているはずです.

一瞬で死んでしまうと解りませんが,死ぬまでに時間がかかると藻掻くことでしょう.

藻掻くという行為は,死にたくないという体からのメッセージです.

死のうと思ったら,お寺にでも出家して心と体を見つめ直したいものです.

悟りを開いて,即身成仏できるなら,それはそれですごいことですね.

ただ,周りに駆け込み寺って無いですよね.これが現代の問題と思います.

症状が軽いうちは,医者に見てもらうより寺に行く方が良いと思うのですが.

現在の日本の多くのお寺は,葬儀の役割しか担っていないのが問題です.

こんな現代では,少なくとも三人のママと伴に乗り越えて欲しいものです.


欲求のコントロール

食欲,睡眠欲,性欲,これら基本的な欲をコントロールするのは簡単な方です.

一旦満足すると,しばらくその欲求は治まりますから.

食事と睡眠をとらなければ,優先順位の低い性欲は,後回しになります.

問題は,物欲とかギャンブルとか.

際限がなく,次々とエスカレートする場合があります.

これも心の問題.

自分にとって,ほんとうに大切なものを見つめ直しましょう.

サンテグジュペリの星の王子様を読んだことがありますか?

「大事なもの,それは目では見えないんだ。」という下りがあります.

目に見えるモノは,あまり大事なものではないはずです.

        私はこの言葉に感動しました.


モノを購入するときの判断基準

便利になるからと言って,モノを購入するのはどうかな?

便利になった分,別のことに時間を費やす予定があるなら,まぁ良いかも.

これを購入すると,できなかったことができるようになるなら,良いね.

高級品を買うか,普及品を買うかも同じ判断基準.

たとえば私の場合,高級なお酒は買わない.味の違いが,よく解らないから.

私の現在の趣味は,写真撮影.でもプロが使うような高級カメラは買わない.

腕がついて行ってないから.

でも,レンズはたくさん欲しくなるんだよなぁ.各レンズの個性が魅力的...

物欲のコントロールは,私も大変.


怒りのコントロール

私は怒りっぽい性格です.どういうときに怒るか?

考えてみると,何かに期待して,それを裏切られたときです.

その期待が大きければ大きいほど,怒りの度合いが大きいわけです.

子供や学生には大きい期待を持っています.

なので裏切られたときは,爆発してしまう.良い社会人になって欲しいという期待.

大人には,あまり期待していません.いくら注意しても応えてくれそうにない.

ついつい怒ってしまったとき,一体何に期待していたんだろう?って考えて下さい.

その期待,凄く重要ですか?社会からの期待に繋がっていますか?

自分の特殊な価値観から来る期待なら,捨て去りましょう.スッキリしますよ.


便利なツールの落とし穴?

便利なものに頼り過ぎると,堕落の一途のような気がしてなりません.

電気製品や機械製品は,非常に便利ですよね.

自動車は,楽に移動できるツールですが,足腰が弱くなります.

パソコンやスマホに至っては,便利過ぎて怖いです.

準備を怠っても,スマホを使えば,何とかなるケースが多くなりました.

でも何らかのトラブルで便利なツールが使えない場合,対処できますか?

依存度が高いほど大変なので,常に危機意識は持っておいた方が良いです.

自動車が故障したら,自分で修理できますか?ほとんど無理ですよね.

じゃあJAFを呼ぶ?タクシー呼ぶ?お金持ってる?走って行く体力ある?

パソコンなら,バックアップと代替品は準備万端?ネットワークは?

便利なツールに囲まれて暮らしている現代こそ危機管理が重要ですね.

歩いて行くしか手段は無く,水場も無い場所でのキャンプは,鍛えられますよ.


依存のしすぎに要注意

便利なツールに依存していませんか?

ツールだけでなく,人にも依存していませんか?

依存すると修行にはなりません.

できるだけ自力でやり遂げることができるようになれば,将来は楽になるはず.

でも自分の行動もパターン化すると,その行動に対する依存度が高くなります.

いわゆるマニュアル人間です.

常に考えながら行動するように心掛けましょう.


例えば自家用車に依存しすぎてませんか?

地方に住んでいると自家用車は欠かせません.これは認めます.

でも,みんな使いすぎじゃないかなって思います.

ある場所に行くのに,徒歩とか,自転車とか,公共交通機関とか色々あるはず.

すべてを自家用車ですませすぎと思いませんか?

たまに歩くと色々な発見があります.雨の日に傘をさして歩くのも良いものです.

そして,歩行者の視点にたつと,自動車運転のマナーの悪さも目に付きます.

歩いていると,歩行者に優しい運転にも繋がると思います.

信号待ちを避けるために手前の路地を通ってショートカットっていうのはどうかな?

自動車を持つような余裕のある身分の人がやる行為ではないですよね.

自動車で楽に速く遠くの目的地に行けるのですから,そこまでしなくても良いでしょ.


社会で活躍できる人とは?

学業成績とはあまり関係が無さそう.

体力と精神力は,かなり重要.それに人柄が加わっているようです.

さらに,志を持っている人は活躍できそうですね.

仕事を通して世の中をどうしたいかという志があると強いです.

そして思いやりは極めて重要ですね.思いやりのある人こそ上に立てる人です.

あと,夢とか,趣味も必要です.懐の深さは色んなところで効いてきます.

でも何の力もなくても思いやりさえあれば立派な仕事ができるので,心配無用です.


志を持つには?

良き師に巡り会えれば,まずは師の目指すところを理解し,志を共有するのが一番.

独学で成長するのは困難ですよね.

活躍しているスポーツ選手も,成長の過程では一流のコーチが指導しています.

まずは研究室の先生のアドバイスを受け入れてみてはどうでしょうか?

私の場合,小学校から大学まで,それぞれで良い教師に恵まれました.

一方で指導者は,教師に限ったものではないです.

会社の上司も,良き指導者になり得ます.

そういう人に出会うには,常に勉強する姿勢で取り組むことが重要です.


精神力を養うには?

修行を積むことに尽きます.

私にとっての修行は,自分にとって辛いことがあっても逃げずにやり遂げること.

辛いけど,その年齢,その環境でしか出来ないことは,やっておくべき.

子供の頃やらされた勉強や宿題は,知力だけでなく精神力も養っているはず.

卒論や修論,学会発表は,まさに修行の場なのです.

一人暮らしのときの家事や,家族を持ったときの子供に対する躾や教育もそうです.

全てやりきってください.精神力もつくし,きっと良い思い出にもなるはず.

やらないといけないのに,やらなかったら,必ずツケは回ってくるのです.


じゃあ何のためにそんなに頑張る必要があるのか?

アンパンマンのテーマソングを思い出してください.

「何のために生まれて,何をして生きるのか・・・・・」

すごく,深い意味の歌詞ですよね.

私は,「愛する人を守るため」って思ったのですが,

「そうだ,おそれないで,みんなのために」という歌詞が出てきます.

自分の思いやりの小ささに気づかされる部分です.

でも次の「愛と勇気だけが友達さ!」って言うくだりは寂しすぎる...

何かを救う時,自分が犠牲になる場合もあります.

溺れている子供を助けに行く時はまさにその状態ですね.人間の本能でしょう.

その時は確実に愛と勇気だけの状況になっているのだと思います.

本当に悲しい結末になる場合もあるので気をつけなけばなりませんが深い意味ですね.


どんな時に喜びを感じるか?も考えてみよう.

頑張るためには,何か喜びを感じないとしんどいですよね.

どんなときに喜びを感じるかを独断で分類して,レベル分けしてみました.

Level 1与えられて満足したとき

Level 2達成感を味わったとき(自立する)

Level 3褒められたとき(評価される)

Level 4感謝されたとき(与える)

Level 5教え,育て,守ること(愛する)

このレベルは,成長の過程で味わえる順序になっています.

レベル2からは,頑張らないと味わえない喜びです.

レベル4からは,何らかの愛情や思いやりも必要になりますね.

レベル5は,部下や弟子を育てることでも味わえます.

伴侶を得て,子供を持てば,よりたくさんの喜びを得られるようになるのです.

頑張れば頑張るほど,喜びに繋がるということになりますね.

これらの喜びは,個人ベースでの喜びです.

組織ベースの喜びをレベル化すると次のような感じ.

Level 1結成する

Level 2団結し,発展する

Level 3継承する

大人になり,社会人になれば,たくさんの喜びが味わえるということです.


仕事とは?

周囲の人に感動してもらい,対価を得ること

感謝されて対価を得られるすばらしいこと

全ての喜びのレベルを味わえるのと同時に対価も得られるのです.

これに対して,感動してもらう事無く金銭を得ることは犯罪です.

仕事は社会貢献に繋がり,生き甲斐ともなります.

仕事で儲ければ儲けるほど,多くの納税をするわけです.まさに社会貢献.

仕事はお金を稼ぐためと考えると,しんどい.

しんどいことでもやりがいのない仕事はないはずので,やりがいを見つけましょう.


国家と仕事

我々は,日本で生まれ,その社会から様々な恩恵を受けています.

特に小・中・高・大の学校教育には,税金がつぎ込まれています.

それは,良い社会を築くには教育が極めて重要だからです.

この制度を維持するには,国民全員が仕事を持つことが重要です.

仕事を持てば,個人個人が豊かになるだけでなく,税収により国家も豊かになります.

失業者の多い国(本当に仕事がない?)は,多くの問題を抱えていますよね.

上でも述べましたが,仕事をきっちりすれば,それだけで社会貢献.

できたら高額納税者を目指そう!

でも税金の使い方は何とかして欲しいですね.


仕事に対する対価

仕事をすると対価を得られるのですが,仕事量と対価が等価でない場合があります.

サラリーマンの場合,労働賃金が提示されて契約し,納得のうえ仕事をします.

でも一次産業に従事する人は,労働に対しての対価とはなりません.

干ばつや水害,土砂災害が発生すると,それまでの苦労は....

農業を保護する政策もとられていますが,うまく機能していないように感じます.

農林業の従事者は,減少の一途をたどっていますから...

また,世の中には,お金にならないけど重要な仕事が山のようにあります.

主婦業もそのひとつでしょう.専業主婦もどんどん減っているようですね.

こんなんで良いのでしょうか?貨幣経済があまりに行き過ぎているように感じます.

お金にならない仕事だけど,重要なことはひたむきにできるような人でありたいです.


貨幣の悪いところ

貨幣は,いろいろなものを購入できるのですごく便利です.

そして,貨幣は貯めることが出来ます.これも便利です.

食べ物は腐ります.モノもいつかは壊れます.

農産物や食べ物は,作りすぎたらお裾分け.富の再分配ですね.

貨幣は,腐らずに貯め込むことができるので,どうしてもがめつくなります.

先のことを考えると,貯めておきたいのは人情ですが...

ただ,ハイパーインフレになると,紙切れ同然になってしまいます.

日本は,借金ばかりしているので,今後どうなるか解らないですよ.

仮に,貨幣に有効期限や半減期みたいなものがあったらどうでしょう?

たくさん貯めてても仕方がないので,色々な形で富の再分配が出来るかもしれません.

今の電子マネーは,その可能性があるように思います.


進路の決定に向けて(何になりたい?)

皆さんは,社会で何をしたいですか?世の中をどのようにしたいですか?

進路は,色々な要素が絡み合って決まります.大きく分けると下のような感じ.

本人の意志:夢や大志(世の中をどんなにしたいか?)

影響力を持つ人:指導者,親,先輩,友人

影響力のある環境:社会情勢,地域性,経済力

つまり縁があってのことですから,遮二無二突進してもダメな場合があります.

でも,志を持って真面目にコツコツ取り組んで,よい指導者についてください.

大学では学生が指導者を決めることができます.ここが大きなチャンスです.

きっと道は開けます.


自立に向けて

自立は,就職することとイコールではありません.就職は自立の始まりです.

就職したとしてもその組織に依存しすぎていれば,自立したことになりません.

つまり組織のために働くだけだと,給与のために働いているのと同等になってきます.

自分の力を養うことと,世の中のためになることを意識し続けることが重要です.

現代はグローバルな社会になって,組織はどんどん変化して行きます.

組織は変化したとしても,柔軟に対処しながら自分の大志を貫く力が必要です.

組織がなくなるという極端な場合もありえますから.

どんな変化にも対応できる力を備えましょう.


結婚して家庭を持とう

伴侶は,絶対に守らなければならない人です.

そんな人がいれば,頑張る力が一層湧いてくるでしょう.

子供ができると,なおさらです.

結婚は,これまでと全く環境の異なる場で成長した配偶者と生活します.

なので,生活におけるルールが全く違う.これって,まず戸惑う部分です.

子供への教育論も配偶者と異なるでしょう.喧嘩をするかもしれません.

でもこれらを克服すると,優しさが生まれます.

簡単に離婚してしまうと,そこから成長できない気がします.

子供は,色んな価値観を認識しながら,自分を確立して行きます.

なので,大家族で育つ子供は,優しい人物になるのではないかと思います.

そうやって,優しい子供達が増えれば,優しい社会になるんじゃないでしょうか.

少子高齢化や核家族化は,何とか打開したいものです.

現代の教育機関は,勉学だけでなく,躾にも関わらなければならないようです.

将来の日本を背負って立つ皆さんは,結婚して優しい子供を増やして下さい.

でもどんな人と結婚すべきか?悩みますよね.これも縁だからなぁ...

進路を決定するのと同じ要素が絡み合っています.


相互理解のために

たくさんの概念を共有できれば,ツーカーの仲になり得ますね.

ですから,文化の違う場所に住んでいる人との会話は,慎重に.

最終的には,お互いを理解し合うというところに行き着けるでしょうか?

残念ですが,それはかなり難しいです.

親子や配偶者ですら,どこまでお互いに理解できているのか解りません.

なので,言葉を選びながら,とことん話し合うことが必要です.

理解するというよりも,まず相手を認めるということが重要な気がします.


ちゃんと挨拶してますか?

高校までは,自宅から通う人が多かったと思います.

朝起きると朝ご飯が用意されていて,帰ると夕ご飯が用意されている.

これは日常ですが,依存しすぎていると感謝の気持ちが薄れますよね.

私は朝,出張で列車を待つ時間があるとき,駅前でぼーっとするときがあります.

すると,駅まで親御さんが車で子供を駅まで送ってくる風景をたくさん見かけます.

でも子供が車から降りるとき,行ってきますの挨拶すらしないケースがほとんどです.

親御さんも,行ってらっしゃいと声をかけている様子もありません.

お互い当たり前と思っているんですかね?でもちょっと寂しく感じます.


目上の人から受けた施しをどう返すか

親からはたくさんの施しを受けています.師や先輩,上司からも受けています.

社会からも教育等で施しを受けていますが,それは仕事を持つことで返せます.

目上の人からの恩に対して感謝し,期待に応えることは必要です.

でも恩を直接目上の人に返す必要はありません.

その恩は,自分が成長したとき,目下の人に返すのが最も自然です.

そうすると,よい社会が長続きするような気がします.


食について

私は,食べることが大好きです.作ることも好きです.

現代は,全国・全世界の色々な美味しいものが食べられる世の中です.

肉や野菜の食材も,どんどん食べやすいものに改良されています.

モンゴルでの経験から,こんな状態で大丈夫かな?って不安になることがあります.

当たり前のように豊富な食材,外食産業も非常に多く,そして価格も異常に安い.

そして食材や食べ物の廃棄物の多さ.尋常ではありません.

ウナギやマグロが減っているようですが,そんなもの食べなくとも大丈夫です.

フォアグラ,トリュフに至っては食べたことありません.

食べたいとも思いません.地元の季節ごとの新鮮な食材があれば,十分ですよね.

高知ではカツオが美味いのは嬉しいのですが,季節感がないのに違和感を感じます.


モンゴルで学んだこと

30代のとき,モンゴルでの現地調査を手伝う経験を得ました.

毎年半砂漠地域で,2〜3週間のキャンプ生活.当然バス・トイレ無しです.

そのときの衝撃は,食べ物です.

半砂漠ですから野菜はほとんどありません.主食は羊さんです.

放牧しているの売ってもらいます.当然生きている羊,一匹ずつです.

その羊を屠殺して食べます.屠殺は,地元の方にしてもらいます.

日本で食材の肉は,パック詰めされた肉片しか見たことがありません.

その屠殺から解体に至る作業は,寸部の無駄のないすばらしいものでした.

それは,羊への感謝の気持ちも込められているのだと思います.

羊には可哀想なのですが,改めて命を戴いていることを理解できました.

日本で食べているパック詰めの肉も過程は同じはずです.

以来,食べ物への感謝の気持ちは,忘れずにいたいと思っています.

「いただきます」という言葉がかけ声だけないならないよう気持ちを込めて!


味について

「美味しい」という言葉は,食べてなくても聞いていて心地よいですね.

でも「まずい」という言葉は,非常に抵抗があります.

食べ物は,すべて美味しいと感じてもらうために作られたはずだからです.

工業製品と化している食べ物は,生産者の顔が見えないのでまずいと言いやすいかも.

でも食材に対しての感謝の気持ちは,忘れてはならないはずですね.

はじめは美味しくないと思っても,食べているうちに慣れるかも.

ただ,わけの解らない食品添加物や合成調味料は,勘弁して欲しいです.

味がきつ過ぎて,喉が渇いて仕方がない.食べたあと体が悲鳴を上げているようです.


調味料について

最近,スーパーに行くとインスタントものが多すぎると感じています.

昔は即席ラーメンくらいだったと思うのですが,近頃は鍋のスープまである始末.

鍋は,具材の旨さがあれば,味付けは適当で十分.

塩,酢,醤油,油,香辛料さえあれば,鍋に限らずほとんどの料理ができます.

胡麻油を使えば中華風,オリーブ油を使えば洋風.

でもこの油,すごく美味しいですが,食べ過ぎには注意しないと....


贅沢な食べ物が多過ぎ?

白米は,玄米に比べて,美味しく,食べやすく,たくさん食べられます.

豆腐も,大豆に比べて,味が繊細で,食べやすいです.

油にしても,色々な原料から,その成分だけが抽出されたものです.贅沢ですね.

しかし,すべての食材は,それぞれ本来の味を持っています.

人間は,様々な工夫をして,食べやすくて美味しいものを作ります.

土壌,気候,文化を通して,伝統的な料理が生み出されるのは,地域の宝です.

でもそれが行き過ぎると,体に良い影響は与えません.

美味しいものは,食べ過ぎてしまいがちです.注意しましょう.

お酒もその代表例ですね.大吟醸が好まれているのですから.

贅沢な食べ物は,要注意! 白米すら贅沢品の一つなのです.


本当に美味しいものはお金で買えない

食材は鮮度が重要ですから,収穫したその場で食べるのが一番です.

お金で買えるものは流通を伴っているので,鮮度は悪くなります.

筍はその代表的な食材です.高知の筍が美味しいのは,鮮度が良いからです.

そして料理は,食べてもらう相手に応じて作ってもらうのが一番です.

相手の嗜好だけでなく,体調や環境等を考慮して作られたものは最高です.

そのような料理は,高級レストランでも味わえません.

つまり家庭料理こそ,本当に美味しいものと言えます.

以前,体調を崩したとき,カミさんが作ってくれた蕎麦がきは最高でした.

お母さんの手料理が最高と皆が言える社会でありたいですね.


お酒について

私はお酒が飲めませんでした.ビール一杯でヘロヘロ.美味しくありませんでした.

日本酒一合飲めば,もどしてしまう始末.そして,頭痛に悩まされるのです.

でもお酒の場は好きで,色んな人の本音を聞いたり,自分の本音をぶちまけたり.

嫌々飲んでいた酒ですが,30歳を過ぎたとき,ビールが美味しいと感じ始めたのです.

それから徐々に色々なお酒を自分に合っているかどうか確かめ始めました.

すると,年代によって美味しいと思うお酒の種類が変わっていったのです.

50歳を過ぎた今は,熱燗が最も自分に合っていると感じています.

代謝力も衰えているので,ゆっくりとお酒がまわって,心地よく酔えます.

やはりお酒は,歳をとってからゆっくり楽しむものかもしれませんね.

お酒が飲めない人も,体の声を聞きながら適度に楽しんで下さい.

決して煽るように飲んではいけません.ゆっくりと味わいながら.贅沢品ですから.


スポーツは好きですか?

私は,スポーツが苦手です.運動音痴だからです.

スポーツには,ルールがあって,その上で勝敗が決まります.

そのルールって何なの?ってたまに思いませんか?

色々なスポーツでルール自体が,時代ごとに変わって来ています.なぜ?

オリンピックの競技は,その典型でしょう.

ルールの変更がスポーツの伝統を守るためだとすれば,本末転倒なきがします.

それにしてもルールがコロコロ変わるスポーツをやっている選手は大変そうですね.

なので,勝ち負けにこだわることなく,頑張って欲しいものです.

私は,結果よりプロセスが重要と思っていますから.

自分のスタイルを確立し,ひたむきに努力し続けている様子は,カッコいいですね.


スポーツは何のため?

スポーツは,体力や精神力を鍛えるのには良いことかもしれません.

ただ,体力や精神力を鍛えるのにスポーツしかない状況も問題です.

畑仕事や山仕事は,本当に体や精神が鍛えられます.

なのに日本の中山間地域は,放棄された農地と林地が多過ぎます.

最近は市民マラソンが人気のようですが,それだけ鍛えたい人が多いのでしょう.

そんな人達に農地や林地で一緒に汗を流して欲しいと思って止みません.

みんなで頑張れば,里山が美しく,そしてみんな元気でいられるのですが...

やはり,勝ち負けが無いと楽しめないんでしょうか?

金メダルや一等賞のために頑張るだけのスポーツなんて,全く魅力を感じないです.

せめて,各スポーツの目指す方向性を示して欲しいものです.


相撲の魅力

スポーツの中でも相撲は好きです.ルールは単純で,変更もありません.

本当に強い力士が横綱.品格まで問われます.それが重要です.

身体能力と精神力ともに成長している姿を力士には見ることができます.

強い者は強い.弱い者は弱い.でも弱い力士なりの相撲にも感動します.

そして,たまに番狂わせがあって,下位の力士が横綱に勝つこともあるのが痛快.

さらに,金星にも大喜びはしない精神力.最高に格好いいですよね.

一番一番の積み重ねですから,金星の一番は,通過点の一つにすぎないのです.

最近の横綱は外国人ばかりですが,その力士達は相撲の精神を理解しています.

その精神を伝えるには,マニュアルをはじめ,言葉での表現は困難なものです.

親方がそれをうまく伝えられれば,良い力士が増えていくわけです.

でもそれがうまくいってない部屋もあるようなのが問題です.

それでも私はその相撲の精神にあやかろうと,毎朝100回四股を踏んでいます.

もちろん,畑仕事や山仕事もやりながら.